臨時復旧ver.
パチスロで生活をし始めた頃は日記を書いていた。
収支をつけなきゃいけないという気持ちもあったし、やはり雑誌や漫画で見ていた先輩が日記というスタイルで記事を更新していたのに憧れというのもあったのだろう。
見返すとその日の収支だけでなく、打ったホール、機種、さらにはその日の出来事が記されている。
一緒に打った友達の名前も書いてあるし、常連の名前はあだ名でそのまま残されている。
「たつやとノリの後そのままススキノへ」
「マフラーは今日も北斗をツモっていた」
「この店はもう行かない」
他人が見たらただの意味わからんガキの書きなぐり。
家に帰ってきた直後に雑にペンを走らせて書いているだけ。
だからこそ、日によって雰囲気が全く違う。
負けた日は短くなるし、勝った日は饒舌にもなる。
連敗が続くと弱気になり反省しはじめ、連勝するとおれ無敵、おれ最強となるワケだ。
それを当時からことある毎に見返していた。
何度も引っ越しをし、札幌から持ってきたものなどほとんど残っていないのだけど、日記帳だけはいつでも見られるところにまとめてある。

誰かに見せるワケでもない。
ただ、たまに見ると、当時の自分のメッセージに驚くこともある。
おれ、こんなこと思ってたんだ……。
日記はパチスロ以外にも派生していて、上司の悪口であったり、恋愛の悩みであったり、感動した映画のシーン、心動かされた名言など、それはもう門外不出の、決して表に出してはいけない黒歴史そのもの。
ただ、それが痛快に面白いのだ。
自分が書きなぐったその瞬間のアウトプットが、時を経て自分にインプットされる。
見返して頬を緩めるたびに思う。記録を残すことは大事だと。
しかし、時代は変化し、やはり紙で残すことは少しずつ減ってきた。
今年もルーティンとしてダイアリーは買ったものの、積まれた本と共に部屋の机の上で新品同様の姿のまま置かれている。
ただやっぱり記録を残しておかないと不安になる。
今日のおれは今日しかいない。
ヒトは忘れる。
今日思ったことを明日も明後日も語れるほど優秀にはできないのだから。
その不安を解消してくれたのが生配信だ。気付けば配信が自分にとっての記録の一つになってきた。
2週間に1回ほどくらいのペースだが、定期的に飲みながら話す。
話すというか駄弁るという感じか。酒飲みながら管巻いて意味わからんことをダラダラと。
コロナ禍くらいに始めたこの活動も気付けば6年ほど経過した。
こうなるとアーカイブの量も増えてくる。
パチスロを打つこともなく、ただ部屋で一人喋る。戯言の積み重ねもいつの間にか数百時間にまでのぼるまでになってしまった。
これもたまに見返すと面白い。日記と全く同じ気持ちを抱く。
おれ、こんなこと思ってたんだ……。
しかも、日記とは違って喋ってるからね。コメントと一緒にあーだこーだと。
少し小恥ずかしい気持ちもあるが、これがいまの日記の代わりなのかもしれない。
見返すたびにそう思わされる。
いまこの瞬間の気持ちを残す。リスナーとの会話もまだ見ぬ自分へのメッセージだったりする。
文字の記録から動画の記録へ。なるほど、一時期流行ったブログは配信に取って代わったのか。

お盆も飲みながらダラダラ喋ってるので、お時間があればお付き合いください。